喪失の

 


 双葉のような形をした木の取手を摘み、抵抗を感じながら少しずつ巻いていく。張り詰めた弦を時折弾き、響いた音を確認して調節する。クルールは暫くの間、同じ動作を繰り返していたが、五本ある弦全てを張り終わると楽器を抱えなおし、簡単な旋律を奏でた。その余韻が消えぬうちに扉が叩かれ、開く。
「悪ぃな、一人でやらせちまって」
 研究員の制服姿で現れたヘンリーはそう言いながら中へ入ってくると、表紙の色あせた本や文字のびっしりと連なった紙が詰まれた机の僅かな隙間へ、茶器の載ったお盆を置いた。 椅子の上にあった書物を別の場所へ移動させて、座る。
「一人の方が落ち着いて、良いよ。人数の要る仕事じゃないしね」
「まぁ、それもそうか」
 此処はオルポート文化研究資料館 ―― 学界で声明を得ていた貴族のひとりオルポート家の当主が設立し、のちに街へ寄贈した施設 ―― の一室である。左右の壁際に設置された棚には、クルールが手にしているのに似た弦楽器や打楽器、それに一体どのようにして使うのか一見しただけでは全くわからないようなものまで、雑多に陳列されている。部屋の中央には長方形をした大きな机が二つ並べられ、そのどちらにも資料や研究報告書がうずたかく積まれていた。
 クルールはヘンリーに依頼されて、此処にあるものについての研究調査書を作成する手助けをしに来たのである。 普段同じ事を依頼している博識の老人が、メルカーナ領に嫁いだ孫娘に子供が生まれたといって不在なのだという。給料出すから手伝ってくれと言うヘンリーに、クルールは少し考えてから応と答えた。平生、金銭などに全く興味のないクルールだが、今は少しばかり物入りだった。故郷から来ている異父兄と同胞の滞在費は、ほとんどクルールが一人で賄っている状態なのである。ギルドの依頼で稼ぐ方法もあるが、危険の伴うものが多く、良い顔をされない。アルカンスィエルがいるのであれば、クルール自身がラルムの側に頻繁にいてやる必要もなく、隣町まで出掛けてヘンリーの仕事を手伝うのに全く不都合は無かった。
「そりゃ、何てやつだ?」
「白鳥琴。色の白い木材を使っているからそう呼ばれている。この丸い胴体や細長い首のあたりも、白鳥を思わせるだろう。クレスターには白鳥の生息地があってね、そのあたりの地域で盛んに作られていたものだよ。彼処は東部における海上交易の拠点だったから、白鳥琴とひとくちにいっても色んな文化の影響を受けた種類があるのだけれど、これはクレスターの原型に近いね。 割と古いもののようだし」
 弦を撫でるように音を立てて見せてから、クルールはそれを倒れないように平積みにされた書物の上へ置いた。ヘンリーが持ってきた茶器の一つを取り上げ、色の濃い紅茶を口に含む。ヘンリー自身が淹れたのか、それとも他の職員が淹れたものかはわからないが、煮出しすぎて葉の渋みがきつい。ふと、ヘンリーの妻メグの淹れたそれが恋しくなるが、此処でそんなことを言っても仕方が無い。
「確か、クレスターからガルヴァリーに移住してきたっつう家族から譲ってもらったやつだな。代々、その家で受け継いで来たものらしい」
「ふぅん。それをよく譲ってもらえたね」
 クルールは何気なく言ったのだが、ヘンリーは苦い顔で黙った。まさか、飲んだ紅茶の渋さにそうしたわけではあるまいと思っていると、心なしか低い声音での返答があった。
「……故郷のことは、思い出したくないんだと」
「なるほど」
 かつて東の玄関口と呼ばれ、交易と漁業で栄えていたクレスター領であるが、現在は王立ギルドの魔法壁によって隔離されている。第五代ウェルナートの時代、急激に増えたモンスターによって活気に満ちていた領土は焦土と化し、当時の領主エドモンド伯爵の死とともに其処は人の地ではなくなった。多くの人々が血を流し、故郷を追われた。恐らくはもう二度と戻ることの無い故郷であれば、いっそ忘れてしまいたいと思うのが人情であるのかもしれない。
「……お前は、クレスターに行ったことがあんのか」
「あるよ。彼処が隔離されたのは、僕に言わせるとつい最近の話だからね。クレスターはアルバータから近いし」
「ああ、アルバータの森にゃ、エルフの里があるってぇ話だな……でも、お前は妖精界生まれだろ?」
 ヘンリーはどちらかというと、人間やドワーフの習俗に目を向けてきたから、アルバータに住むエルフたちに接触を図ったことはない。排他的な彼らの調査は容易にできるものではなく、研究者泣かせともっぱらの噂だ。人間社会で暮らしているエルフに協力を頼んでも、出身が違えば受け入れられることはないという。
「仮の里というか、人間風に言うと避暑地に近いかな……まぁ、あちらがとても暑くなると言うわけではないのだけれど、気分転換にこちらに来たときに使う里がアルバータにあるんだよ。風精季か地精季、気候の良い間だけね」
「ってこたぁ、アルバータに住む他のエルフとも交流があんだろうな」
 エルフ研究者たちが聞いたら飛びつくのではないかと思いながら、ヘンリーは言った。もっとも、頼んだところでクルールはアルバータのエルフへの橋渡しなどしてくれないだろうが。
「挨拶程度はするよ。……でもまぁ、里ごとに雰囲気が違うから、まちまちかな。時々、人のやり取りもするけど」
「やりとり?」
「僕らの一族はほとんど血族のようなものだから、時折、別の一族を迎えいれる必要があるんだよ」
 今度はヘンリーがなるほど、と呟く番だった。度重なる近親婚が弊害をもたらすのは、人間もエルフも同じらしい。
「……お前は、よくエルフ以外は対象外だってぇ言うが、そりゃ一族が皆そうなのか。お前の兄貴の嫁さんは、人間だったんだろ」
 茶器を受け皿に戻し、クルールは微笑した。それは、相手の言葉に対して反射的に込みあがってきた苦味を打ち消すためのものだったが、ヘンリーにわかろうはずもない。
「人間と結ばれるのが珍しいことであるのは確かだったけれど、誰も反対はしなかったよ。ティフォンは自分たちがエルフであるということをよく理解しているだけで、決してそのことで思い上がることは無いし、一族の誰もがアルカンスィエルのことを愛し、幸せを願っていた。それに、彼の望んだ娘のこともまた、僕らは愛してしまったから。フローリアはね、……フローリアと言うのは、ラルムの母親のことだけれど、……彼女は、彼女の娘と同じように非常に水の精霊と相性のよい、優れたドルイドだったよ。美しい娘だった。放浪する呪術師の集団から逸れて、僕たちの里に迷い込んだんだ。紛れもない人間だったけれど、たぶん、僕たちと同じものを見ていた。だからかな」
「そりゃ、どういうこった」
 意味がわからない、と言い返したヘンリーに、クルールは少し考えるように首を傾げ、それから言い直した。茶器を戻してしまったので手持ち無沙汰になり、白鳥琴に手を伸ばす。労わるように滑らかな胴体をなぞり、張り詰めた弦に指を沿わせる。
「同じ世界観を持っていた、と言い換えれば良いかな。それは、単に精霊が見えるということだけでなくて……」
 声は不自然に途切れた。代わりに、白鳥琴の清らかな調べが流れ出す。澄み切った音色は、美しすぎてどこか物悲しい。
 クルールが中途半端なまま話を止めたことを、ヘンリーは咎めず、続きを促すこともしなかった。クルールが、世間の種族至上主義を掲げる連中とは違う雰囲気を持っているくせに、他種族を遠ざけるような言動をする、その意味がわかった気がしていた。
「<時の代わりに悲しみが僕らを殺すから、僕は君たちを愛さない>」
 短い旋律の終わり、余韻に載せてクルールは歌うようにエルフの言葉を紡いだ。

 

fin.


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  書いた当時のことを全然覚えてないんですけど(笑)発掘したのでちょっと修正してUP。クレスターがどうのこうのは、たぶん公式設定に基づいてるんだと思いますが、何か違ったらすみません! 2011.03.23

「クルールとヘンリーの日常」というリクエストでした。でもこの人たち普段、それぞれ別の街に暮らしてるんだよね!ということに気がついたので、雇われてみた。成り行きに任せたら、主題が良くわからないふらふらしたものになりました。すみません。
 相変わらず色々と捏造しています!
 公式設定読み返していて、クレスター領が隔離されていることに始めて気がつきました。本当、FSはまだ遊び足りなかったなぁという思いでいっぱいです。美味しい設定がまだまだあるのに!!(>_<)第五代ウェルナートの御世が過去のことのように書いていますが、実のところ、今が何代目なのかわかりません。現国王なのかなぁという気もします。
 公式が続いていれば、モンスターの急増の原因とか、隣国との戦争の話とか、神秘の独島エシュタリアも絡んできたんでしょうか……今となっては詮のないことですが、気になります。FS世界美味しい……。

2009.03.12 約3100字