Sherany
 

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 鍛冶屋の女主人が仕上がりは三日後だと言うので、またその頃に訪れることを約束してクルールは鍛冶街を出た。
 代用品を持っていくかと言われたが、断った。
 この辺りは街が比較的密集しており、人の往来も盛んであるからモンスターとの遭遇は心配する必要が無かったし、預けたものがクルールの武器全てというわけでもなかった。
 折りよく目的の街へ向かう乗合馬車が出ていたので、数枚の銀貨を支払ってそれに乗る。
 徒歩でも大した距離ではないが、日が暮れ始めていた。数日前、ハーピーとの戦闘で体力を消耗したこともあり、馬車に揺られながらクルールは軽く目を閉じた。
 幸いにスリを試みるような不心得物もおらず、次に目を開けたときには馬車は目的地に着いていた。
 太陽はすでに眠りについていたが、街は松明に赤々と照らされており、広い通りを人々が昼間のように闊歩している。
 鍛冶街のあの槌の音こそないものの、宿場街の喧騒も大したものである。
 酒場から聞こえてくる酔漢の笑い声に、路上で殴り合いを始めた男らの怒鳴り声や、女の客引きをする甘ったるい声が混ざり合う。そこへ、雑踏を掻き分けて進む馬車のガラガラと車輪の回転する音が被さった。
「にいさん、エルフのにいさん。うちで遊んでいかない?」
 クルールの腕を引いて、化粧の濃い女が笑う。金に近い薄茶のその髪色は悪くなかったが、クルールは、いや、と断りを口にした。
「悪いね、これから行くところがあるんだ」
「その用事は明日にしちゃどうかしら」
「とても魅力的な申し出だけど、また今度ね」
 この地域を活気づけている源である軍というのは、当然ながら基本的に男ばかりの集団である。その傍には、花街が賑々しく展開されるのが世の常だ。
 いちいち相手にしていたらきりがないと、クルールは女に背を向けると、少し速めの歩調で雑踏に紛れた。
 大通りから外れて路地に入り、記憶を辿るように右へ左へ、何度か曲がる。
 見覚えのある扉を前にして、クルールは真鍮の叩き金を三度鳴らした。
 間もなく、覗き窓から此方を伺う気配があり、それから鍵の外される音がして扉が開いた。
「まぁ、クルール。久しぶりね」
「やぁ、ベランジェール」
 こんな花街の片隅にいるのが勿体ないような美しい蜂蜜色の髪をしたエルフの女が、柔らかく微笑み、クルールを室内へ招き入れた。
「本当に久しぶりだわ。丁度、お休みの日でよかった」
「明日、港に船がつくと聞いたから、今日は休んでるだろうと思ったんだ」
 明日から忙しくなるだろう、というクルールに、そうね、と頷きが返される。ベランジェールは、大通りに門を構える<酔夢楼>という店の娼婦だった。 船に乗ってくる軍人や下働きの男たちが、彼女の客になる。
 ベランジェールは、多くの娼婦たちが店から与えられた小さな部屋に住んでいるのに対し、自分で買い上げたこの部屋に暮らし、自分の都合で店を休むことも、客を選ぶことも自由だった。生粋のエルフである彼女は、身体を売って返さなければいけないような借金は無かったし、もしあったとしてもとうに返済し終えていても可笑しくないほどの年月を此処で過ごしている。
 ベランジェールは、自分の意思で春を鬻ぐ女なのである。
 相手にする客は一晩に一人きり、そして、一度きり。次にはいつ来るのかと男を待つことも、床を共にした男が老いるのを見ることも、ベランジェールは望まなかった。
 借金のない彼女が<酔夢楼>に属しているのは、その方が客を取るのに楽だからだ。店の方では、何十年経とうとも美しさを失わないベランジェールは、店の宝に等しく、丁重に扱っている。
 どんなときでも彼女目当ての客は尽きなかったし、一晩の花代も他の娼婦とは比べ物にならなかった。
 知り合ったばかりの頃、どうしてそんなことをするのかと、クルールは尋ねたことがある。
 一部の種族主義のエルフが口にするような、他種族と交わることでエルフの誇りが汚されるという考えは持っていなかったが、ただ生計を立てるのなら他にいくらでも方法があるだろうと思った。
「わたし、こどもがほしいの」
 彼女は憂い交じりの笑みを浮かべ、そう言った。
 今、その輝くような面貌は、優しい微笑を湛えてクルールを見ている。
 クルールは客ではない。以前、此処に来たときにこの辺りでは珍しいエルフ同士ということで、親しくなった。友人だ。
「丁度、湯を張ったところよ。使う?」
「君の後で良いよ」
「でも、あなた、酷い格好だわ。わたしはいつでも入れるから良いの」
 確かに、短くは無い旅路にすっかり汚れた姿で、部屋を汚すのも申し訳が無い。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ、どうぞごゆっくり。着替え出しておくわね」
「ありがとう」
 広い風呂場で、クルールは汚れた衣服を全て脱いで直接床へ積んだ。砂埃ばかりでなく、モンスターの返り血なども染み付いたそれを、洗濯籠へ入れるのはためらわれた。ベランジェールが代わりの服をくれるのなら、捨ててしまっても良いかも知れない。
 浴槽にはたっぷりと沸かされた湯が張られており、香草の入った布袋が浮いていた。優しい香が漂っている。
 できる限り水のあるところでは汗を流すようにしていたが、ちゃんとした湯浴みは久しぶりである。
 熱いくらいの湯に、汚れだけでなく疲れも取れるような気がした。
 

Sherany 4
 

 国境といえば国境争い、争いといえば軍人、軍人といえば花街です。傭兵の場合、そこに酒が多量に加わります。
 成り行きでお風呂シーン……省略しても良かったんですが、ハーブ風呂について書きたかった。浴槽はもちろん、琺瑯引きの猫足。憧れ!
 エルフは、早々汚れたりしないと思ってます。DE! パーティの中で、エルフだけ常にきらきらしてれば良いじゃない!笑