Sherany
 

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 かつてシュバイツ帝国領であったシェラニーは、ファラトリア南西の国境に面する領地であり、その民も土地も絶える事の無い小競り合いによって荒廃していた。
 人々は戦禍を避けるために畑を捨て、家を捨て、村を捨てる。そうして人気の無い、風化しかけた集落を、あちこちに見ることが出来た。
 耕し手を失った農地は軍馬によって踏み荒らされ、乾き、雑草だけがまばらに生えている。
(此処は、何度来ても変わらない)
 砂除けの布を口元まで引き上げて、クルールは捨てられた集落の中を一人、歩いていた。
 幾度か、朽ち欠けた家屋の外へ乾いた馬糞があるのを見かけ、一時期、この集落は臨時の軍事拠点として使われたのだろうと知れた。この程度の規模の集落では、農民が農耕用に馬を飼育しているということはまず無い。軍馬のそれであると推測するのが正しかった。
 民が捨てた集落を軍が利用したのか、軍が利用するために民を追い出したのか。
 どちらであっても、クルールには関係のないことだ。
 生粋のエルフであるクルールには、土地を争い血を流す人間の気持ちは分からない。
 吟遊詩人として、望まれれば軍歌や英雄譚を歌うこともあるが、その歌詞になんら感銘を受けることは無かった。
 同族で殺しあう人々を、愚かしい、と思わないでもない。
 だが、一方で、命を賭けてまで何を彼らが欲するのか、知りたいとも思う。
 エルフには―――少なくとも、クルールが生まれ育った一族には、同じエルフの血を流そうというものはいない。
 長命であるが故の枷だというのか、エルフの懐妊率は驚くほど低く、どれほど長生きのエルフでも、その一生で生む子供の数は、一人、或いは二人。三人も生むようなことは珍しい。
 一族で一番の長生であるティフォンですら、実子はアルカンスィエルとクルールの二人だけである。
 エルフの子、というだけで、それはなにものにも変えがたい重みを持つ。
 それは逆を言えば、エルフの血を受け継いでいない者たちへ、冷淡な視線を向けることにも繋がるのだが。
 それでも、自分たちは人間と争おうとも思わないのだから、そのことで責められる謂れは無い、とクルールは思う。
 しばらく歩いていると、集落の中心らしき広場へでた。
「……」
 以前は子供たちが明るい声を上げて走り回ったかもしれない地面の上には、一人分の白骨が横たわっていた。
 頭骨に僅かに残った毛髪は長い。人の手によってか、それとも時という見えない手によってか、ばらばらに千切れ砂埃を被った衣服や装飾品の残骸を見る限り、その骨は女のものであるらしかった。
 何故、こんな空の集落の広場に、女の骨が横たわっているのか。
 異様な光景ではあったが、クルールはさほど疑問に思うこともなく、力なき人々が武器を持つ者によって陵辱されるさまを思い描いた。
 遠征に出た軍隊が、その過程で敵地の、ときには自軍の領地で兵糧補充という名目の略奪行為を行なうのは珍しいことではない。よほど規律の厳しい部隊でなければ、それはむしろ当然に行なわれる。正規兵だけでなく傭兵が加われば、略奪が行なわれる可能性は高まるし、こんな辺境の勝っても負けても大した結果に繋がらない小競り合いのために編成された部隊では、なおさらだろう。
 略奪されるのは食料だけではない。補給線が立たれたわけでもないのに行なったのならば、その目的はむしろ若い女にあるというべきだった。
 この集落の人間か、それとも敵地から浚われてきた捕虜か。
 そのどちらかだろうと見当をつける。
 クルールのような旅人が通りがかりに死んだのだとするには、無理のある光景だった。
 しばらくの間、彼はその物言わぬ女を眺めていたが、戦争というものの理不尽さに憤りや感傷を感じているわけではなかった。
 所詮、クルールにとっては別の世界の出来事だ。
 エルフである彼は、人間の社会を眺めることはあっても、そこに加わることは無い。彼はエルフと精霊の世界である妖精界で生まれたのであり、戦乱や暴力とは無縁な其処が彼の帰る場所だった。
 ただ、聞いてみたいと思うのだ。
 恐らくは誇りや希望を砕かれるような仕打ちを受け、死に、こんな誰もいない荒れ果てた場所で、人知れず風化していくだけの女に、どんな気持ちで生きていたのかを。
 その、短い生の意味を。
 クルールの灰青の瞳は、砂に埋もれかけた女の白い骨を見ている。
 やがて、精霊の悪戯のようなひときわ強い風が空っぽの集落を駆け抜け、どこのものだか分からない小さな骨を転がした。
 それを見ていたクルールは、風に塞がれた耳がそれを聞いたはずも無いのに、確かにからりと軽い骨の音を感じ、それきり視線をそらして再び歩き始めた。
 


Sherany 2
 

 どういうわけだか、今まで全く接点の無かったシェラニーについて書き始めました。侵攻・占領によって手に入れられた土地で、国境争いが絶えないというのに惹かれて……。でも、どうなのかな、これ 。
 拙宅のエルフ観も交えつつ、だらだら書いて行きたいと思います。

 気候についての記述が無いのでよくわからなかったんですが、荒地は乾いてるものだという固定観念。
 シュバイツ帝国となんで仲悪いのかな。同じく隣国である砂漠の王国ザイエルも非常に気になります。砂漠、良いな、砂漠……。