輝けるの娘の物語


 


 時は、昔
 王の木が別の色の花を咲かせていた頃のこと
 光竜への祈り集まる地へ向かう 一隻の船

 レノール・エステラ ――― 輝ける星の娘の物語

 陸地の見えぬ大海原 船は嵐に出会い
 波が船壁を砕かんばかりに押し寄せ 海水が甲板を侵し
 荒れ狂う精霊たちの悲鳴が空気を裂く
 人々は手に手を取り合い 海へ放り出されぬよう船にしがみついた
 嵐は三日三晩続き
 絶望が人々を襲いつつある夜
 一人の娘が歌を紡ぎはじめた
 それは精霊を鎮める調べ
 強い風と波音に声をさらわれながら 娘は歌い続けた
 喉が痛み 声がかすれようとも

 やがて 夜が明けた

 人々が見たものは 穏やかな聖地ヴァルニアへの道と
 神々しい光竜レイリーンの姿
 歓声が上がる中
 歌い終えた娘は その娘は
 力尽き 息絶えた

 光竜はその命の煌きを
 夜空に輝き海原を行く船を導く星とした
 人々は娘に敬意を表し
 レノール・エステラ ――― 輝ける星の娘と呼んだ



 

 ぽろん、と竪琴が余韻を残して物語が終わると、隣で聞いていたメグがささやかな拍手を送った。
 ヘンリーもそれに合わせるように、まばらに手を叩く。
 膝の上では、養女であるクラリスがまだ聞くべき音が残っているとでもいうように、じっとクルールに視線を注いでいる。
「とても素敵だったわ、クルール」
 メグは素直な賛辞を伝えると、お茶を淹れなおすわね、と席を立った。
「うまいんだな」
 向き合った状態で黙っているのもなんなので、ヘンリーは言った。
 吟遊詩人として酒場や社交場で歌うこともあるのだとは聞いていたが、実際にその歌声を耳にするのは今日が初めてだった。
 十数年前、人間のヘンリーにしてみれば短いともいえない時間をともに過ごした相手だが、そのときには楽器の類をクルールは持っていなかったのだ。
 今、クルールが手にしている優美な曲線をした竪琴は、古道具屋で見つけてきたらしい。
 今度人に聞かせる約束をしたから、という彼をエッカート宅へ連れ込み、さぁ弾いてみろと言ったのはヘンリー自身なのだが、こうして聞き終わってみるとなんだか不思議な心地がした。
「お気に召したなら何より」
 当の本人は、何でもなさそうな顔をして竪琴を膝から降ろす。
「今のは、実話か」
 ヴァルニアには光竜レイリーンを信仰するヴァルニア大神殿がある。各地から、参拝するものも多いと言う。巡礼船が出たとしても、おかしくはない。
 ヘンリーは文化を研究する学者であるから、信仰やそれに関する伝説、言い伝えの類にも興味があった。
「ヘンリー……」
 心底呆れた、と言う声音だった。八割がた、それは嫌がらせのためにわざと作っているのだと分かっているが、単純な疑問に対して、呆れることもないだろうと思う。
 心外だ、と顔をしかめたヘンリーに対して、クルールは
「そんなわけないだろう」
 と断定した。
 それから、嘆かわしいと言わんばかりにその柳眉をひそめ、口を開く。
 自分の顔や表情の持つ効果を完全に把握した上でそういうことをするのだから、いちいち、腹立たしいエルフだった。
「ヴァルニア大神殿はカリストリア朝の王が寄進したものじゃないか。この話は冒頭で、カリストリア朝以前の話だといってるんだよ」
 それでは、反論の余地もない。
 王の木が、のくだりが何を意味するかはなんとなく分かったのだが、すっかり失念していた。
 自分が間違っていたことは分かったが、ヘンリーは不服げな顔を崩さなかった。殊勝な顔をして見せたところで、損をしたと思うだけに決まっている。
「確かに、あそこは昔から信仰心の厚い国らしいけどね、今のようにレイリーンの総本山と見られていたかと思えば、大いに疑問だな。国王が竜神の中でもレイリーンを選んで神殿を建立したのは、それが支配者層にとって都合が良いからだろう」
 正義と秩序を説くレイリーン信仰には、王や貴族などの信者が多いのだ。
 人間界の生まれではないクルールには、竜への信仰心がない。
 無論、同じ世に生きる偉大な生命への尊敬はあるが、それだけだ。竜を信ずることによって願いを叶えようだとか、救われようだとかは思ったことがない。
 だから、その物言いはファラトリアの住人にはきつすぎる。
「お前な、そんなことグランベルクやヴァルニアで言ってみろ。闇討ちされるぞ」
「お生憎さま、エルフは夜目がきくんだ」
 ここ一番の笑顔でクルールが嘯いたとき、メグが盆に紅茶と茶菓子を乗せて戻ってきた。
 クルールは礼を言って、それらをテーブルへ置くのを手伝う。ヘンリーはといえば、一向にクラリスがどこうとしないので、身動きできないでいた。
「昨日焼いた残りでごめんなさいね」
 茶菓子はメグ手製のクッキーだった。きれいな焼き色のそれは、店で売っているものにも劣らないだろう。その脇には、果物を好むクルールへの配慮か、オレンジピールが添えられている。
「構わないよ、メグのつくるものは本当に美味しい」
「まぁ、ありがとう」
 妻には妙に愛想の良い友人に、ヘンリーは小さく溜息を漏らして、膝の上の娘の肩を揺らした。
 好い加減、しかめっ面も疲れる。
「ほら、クラリス。お前もちゃんと座れ」
「……」
 促すと、娘はようやく起き上がり、クルールの隣へ小走りに近寄った。
 どういうわけだか、クラリスはこの性格の悪いエルフに大懐きなのである。ヘンリーにとっては頭の痛い話だ。
 シェイプチェンジャーとエルフは仲が悪いんじゃなかったのか、などと詮無いことを思う。
「そういえば、さっきの話だが」
「うん?」
 全員が席に着き、他愛ないやり取りが一段楽する頃を見計らって、ヘンリーは話を蒸し返した。
 クルールの性根が捩れていることは確かだが、その知識は確かなものである。
 正確な年数を聞いたことはないが、ヘンリーの何十倍も生きているのだから、その知識量は豊富だ。
 それだけは、大いに利用するに限る。
「実話じゃないなら、どうして歌い継がれてるんだ?」
「ああ……」
 クルールは紅茶を一口飲んでから答える。
「それはもちろん、レイリーンの力を主張するためだよ。ようするに、あの話は、竜神信仰は精霊信仰にまさる、という話なんだ」
「あー……そうか、レイリーンの信者が歌で海だか風だか嵐だかの精霊を鎮めるっつう話だもんな」
 言われてみれば、あれは単に娘の自己犠牲的な行いを賛美する"おきれいな"話ではないらしい。
「現王朝以前に話を設定したのは、ヴァルニアに箔をつけるためだと思うよ。大神殿が出来たのなんかつい最近だろう?大体、カリストリア朝が開かれたの自体、そう昔のことじゃない」
 王国暦158年の今は、つまるところカリストリア王朝が樹立されてから158年と言うことである。
 途方もない時を生きるエルフにとっては、"最近"の範疇なのだろう。
 ヘンリーにはついていけない時間感覚だ。
 もしかすると、ドワーフである妻のメグはクルールのそれと近いものを持っているかもしれないが、それに関しては考えないことにする。
「まぁ、巡礼船が他の国からヴァルニアへ出ることは実際にあるだろうから、一から全て作り話かと言えば、そうとも言い切れないかな。大方、船が嵐にあって乗員の娘が死んだのを、脚色したんだろう」
 クルールの口調はあくまで淡白だ。そう説明されればそれが事実のように思えるが、味気ないことこの上ない。
「そういわれると、身も蓋もねぇな。吟遊詩人はもっと夢のある仕事だと思ってたんだが」
「相手がお前じゃなきゃ、聞かれたってこんなこと答えないよ。誰だって、宗教的な主張の話よりも、一人の乙女の献身的な話の方が好きだろう」
「嘘をもっともらしく歌うのが吟遊詩人か」
「夢のある仕事だろう」
 にこりと作り笑顔を向けてきたクルールに、ヘンリーは答えないでオレンジピールを口へ放った。


fin.
 

 神話めいたものを捏造した余波です。
 王国暦158年、つまりカリストリア朝が開かれてから158年しか経ってないってことは、エルフの皆さんは前王朝のことを知ってたり、その治世で生きてたことがあるんだなぁ!と驚きました。ヴァルニア大神殿を建てた第五代国王ウェルナートって人は、いつごろの人なんでしょうか……今の国王は何代目?公式で設定を見つけられなかったんですが、もしご存知の方がいらっしゃいましたらお教え願いします!
 クラリスが中々喋りません……クルールと二人きりだと喋るんですが。本当、女絡みばっかりだな、お前は!
 異種族家族(この話の登場人物は全員種族違いますね)についても、ちまちま書いていけたらなぁという希望的観測を抱いています。
 エッカート一家は、クルールと対極的な人生観?を持ってる人たちなので、そのあたり。