Peche=Claudel
母親の記憶というものを、ペシュは持っていない。
あるのは、叔母としてのその人のことばかりだ。
父と叔父と、そして彼女の間で一体どんな経緯があってそんなことになったのか、いろいろと教えてくれる人がいたが、ペシュはその全てを聞き流した。
どんなに他人の口から聞いても駄目なのだ。
ペシュは、ペシュに全てを説明しうるただ一人の人間であるところのアルジャンから聞きたかった。
(母さんとどうして別れたの)
父と"叔母"の仲は至って良好で、過去になにか諍いがあったことなど感じさせない。
だから、ペシュには、明るく笑うその人がかつてアルジャンの妻であり、自分の母親であったことがあるなんて信じられなかった。
「手伝うことはあるかしら」
その声で、ペシュは我にかえった。
目の前では、砂時計の砂がちょうどおちきったところ。紅茶の葉から渋みが出ないうちに、ポットをとりあげる。
「大丈夫。……頼むのも不安だし」
「あら、ひどいこと言って!生意気ね」
「本当のことじゃない」
この、自分よりよほど少女みたいなひとが母親だなんて、全く一体どういうわけなんだろう。
自分の本当の母親は、家事全般を伝授してくれた隣りのポリィおばさんに違いない。ペシュは思った。
「アルにいさまは私に文句を言ったことなんて一度もなかったわ。私だって、まずいと思ったものを平気で食べるんだもの」
別れた夫とのことを、オーレリーはペシュにだけ遠慮なく、それこそ無神経なほどに言う。元夫のことを、にいさま、と呼ぶのは、今の彼女にとってアルジャンが義兄であるせいではなく、幼い頃からの呼称なのだという。
「あたしも、父さんに文句いわれたことなんてないわよ」
ペシュが家事を覚える以前、アルジャンの作った料理の味もお粗末だったから、文句を言う権利はないと思ったのかもしれない。
「……ねぇ、なんで別れたの」
面と向かって聞くのは初めてだった。
叔母であり母であるその人は、少し考えるように小首を傾げた。
その仕種は、ラルム・オーのそれに似ている。
まったく二人ともペシュより年上のくせして、よほどこどもみたいなのだ。
「にいさまはなんて言ってるの」
「父さんがなにもかも悪かったんですって」
腹が立つくらい、それしか言わないのだ。
アルジャンだけが一方的に悪かったはずも無いのに。
「まぁ、そうね。アルにいさまのせいだと思うわ」
あっさりとオーレリーは頷く。
「浮気でもしたの」
有り得ないと思いながら聞く。
オーレリーは、ころころと笑った。
「私を愛してたわけじゃないと言う点では、近いかもしれないわ」
「………は?」
そんなわけはないだろうと思う。好きでもない人間と結婚できるようなひとではない。
それとも、ペシュの知らない頃のアルジャンは、今とはまったく別の性情の人間だったのだろうか。
娘の様子をよそに、オーレリーは、そうね、と続ける。
「あの人は、あなたが欲しかったの」
どういう意味、とペシュが尋ねるより前に、せわしない小さな足音が二人に割って入った。
「なにしてるんでつの!おこーちゃがさめてしまいまちてよ!」
「オードリー」
舌ったらずに言ったのは、ペシュの異父妹兼従妹の幼女だ。
ペシュが着たことも、着たいと思ったこともないようなリボンとレースの付いた服を着ている。
淑女に非常な憧れを抱き、実際に淑女ぶってふるまうので、ペシュは彼女のことをリトルレディと呼んでいる。
「あら、ごめんなさい。お喋りに夢中になってしまったわ」
「今持って行くわ。リトルレディ、あんたシュガーポット持てる?」
「まかちてくださいませ!」
オードリーは角砂糖の入った器を両手でしっかりと持った。
「私には不安だって言ったのに、オードリーは良いの?」
末娘以下の扱いをされたオーレリーが拗ねた口調で言う。
ペシュはとりあわずに、カップの乗ったトレーを持ち上げた。
「さ、外に出て。父さんたちが待ちくたびれちゃう」
「せっかく手伝いに来たのに」
口を尖らせたままの母親に、ペシュは溜め息を飲み込んだ。
fin.
幼女ー……あまりこういうキャラは得意じゃないし、それほど好きでもないのですが。つい、ぶりっぶりの幼女キャラを作ってみたくて…。 2007.10.11 |