子守唄
真夜中に目が覚めた。
すぐに真夜中だと分かったのは、丁度目を開けた先に置時計があったからだ。闇を見通すエルフの眼には、起き抜けであっても、火を落としたあとの部屋を見渡すことになんら支障はない。
元々、眠りも浅いたちだった。
「……クラリス?」
人の気配に顔を動かすと、扉が開いて小さな影がするりと入って来る。
名前を呼ぶと、彼女は小走りになって、寝台の上で起き上がったクルールの上半身にしがみついた。
その手が震えているのに気がついて、そっと抱き返してやる。
「悪い夢でも見たのかい」
少女の腕に力がこもる。
それを肯定と見て、クルールは慰めるように少女の少し癖のある髪を撫ぜた。
クラリスが眠っていた部屋には彼女の養父母もまた寝ていたはずだが、起こすには忍びなかったのか、それとも、彼らには話せないような不安があるのか。
クルールには、自分がこのこどもに好かれている自覚がある。
メグもヘンリーもいるなかで、よりによって自分に懐くクラリスを愚かだと思いもするが、悪い気はしない。
ちいさく、かよわい、可愛らしいいきものだと思う。
「……わたし、またひとりに、なっ……」
くぐもった声は怯えの響き。
母に先立たれ、父親に捨てられたこの子供は、いつか今の家族も失ってしまうのではないかと、恐れている。
「クルール……教えて、おねがい、わたしはいつまで、ハルやメグと一緒にいられるの……」
「クラリスが死ぬまで」
はっきりと言ってやる。
シェイプチェンジャーのクラリスがどれだけ長生きしても大したことはない。人間のヘンリーは微妙なところだが、ドワーフであるメグはクラリスよりも先に寿命を迎えると言うことはないだろう。
「死ぬまで一緒だよ」
だから安心して良いと教えたのはクルールだった。
シェイプチェンジャーが短命であることをまだ幼いクラリスに突きつける必要はない、とヘンリーは怒ったが、クルールにしてみればこんなことを隠して何になるだろうと思う。
どう教えたところで、クラリスはきっと誰よりも早く死ぬ。
エルフが永い時を生きることを定められているのと同じように、そういう宿命の種なのである。
クラリスが欲しいのは、優しい嘘なんかではない。もっとしっかりとした、確証が欲しいのだ、この子は。
「……クルールは、いつまでそばにいてくれる、の」
「僕は君の傍にはいられないよ」
「どうして」
胸に押し当てられていた顔が上がる。円らな瞳が瞬くと、ほろりと涙が零れた。
エルフの眼には、その雫はきらきらと光って見える。
「僕は君の家族じゃない」
「……」
数日、この家に世話になったが、明日にはギルド寮へ移るつもりだった。そこにいるのも、いつまでになることか。
長居するつもりはない。
この家にも、この国にも、この世界にも。
「もう、おやすみ」
「……ここにいたい」
寝衣を掴む、その手を振り払う気にはなれない。
布団に入りなさい、と掛け布団を持ち上げ、クルールは隅へよって空間をあけてやった。
「クルールが家族だったらよかった」
小さな声でもらされた呟きに、声は立てずに口元だけで笑った。
それはきっと、ヘンリーが嫌がるだろう。きっと、メグは笑顔で迎えてくれるだろうけど。
二人の顔が目に浮かぶようだ。
クラリスは切望するような、それでいて諦めているような目で、熱っぽくクルールを見ている。
「おやすみ、クラリス。もう悪い夢は見ないよ」
まじないのように、その額に口付けを落とす。
守られずには生きていけない、弱い生き物。
どうせ、手を差し伸べてやっても、やらなくても、あっという間に死んでしまうこどもなら、守られて、愛されて、厚い庇護のもとで溺れるように育てば良い。
「こわいのなら、子守唄を歌ってあげよう」
いつか覚えた旋律を、密やかに紡ぎはじめる。
夜の精霊がこどもを暖かくくるみ、眠りが彼女に優しいものであるよう。
やがて、穏やかな寝息が聞こえてくるようになると、歌声は潮が引いていくように余韻を残して止み、夜の帳だけが二人を包んでいた。
fin.
クラリス喋らせようと思ったら、こんな話に……。あ、ちなみに、クラリスは獺(かわうそ)のシェイプチェンジャーに決まりました。 ラルムは「不幸でも可笑しくない設定だけどそれを全く感じさせない(実際は不幸ではない)娘」、と言うのが最初のコンセプトにあって、クラリスは露骨な「可哀想な子」というのがコンセプトです。 2007.09 |