霊の娘


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 カフェで買った木の実のタルトを手土産に店を訪れると、中に入るまでもなく、庭先の木に寄りかかるようにしてラルムが立っていた。花飾りを脇に結んだだけで簪でまとめていない長い髪が、風に広がり、冬の白い陽光をちらちらと反射させる。
 きれいだな、と思う。
 淡い金色の髪と空色の瞳は父親譲りだ。一族の中にいても、黒髪のクルールよりもよほどその姿は馴染むだろう。
 彼女がエルフだったら良かった、と思うことがないわけじゃない。
 だが、半分は彼の常春の乙女から連なるエルフの血を引き、もう半分はあの美しい人間であったフローリアの血なのだと思えば、文句はない。
 そうあるべくして、ラルムはハーフエルフなのだろう。
「こんにちは、クルールのおじさま」
「やぁ、日向ぼっこかい」
「おじさまが来るってこの子達が言うから、待っていたの」
 透き通る青い身体の精霊が、それを肯定するように飛び回る。薄い羽根と、魚の尾のようにもドレスの裾の様にも見える下半身を持つそれらは、ラルムの傍でいつも女性の姿をしている。
 自我の薄い精霊は、契約者の思考に左右されやすい。感情の同調のみならず、姿に関しても同様のことが言える。けれど、それは精霊たちがラルム自身の姿を模しているというわけではなく、ラルムの母親への思慕が反映されているのだろうと思う。
 川に落ち、流されて、一人になったラルムを育てたのはエルフでも人間でもなく、精霊たちであった。
 金属の嫌いな彼女たちは、装飾品や刃物を身に着けたクルールには一定以上近寄ってこないが、もともと相性は良い方だから挨拶の言葉をよこしてくる。
 精霊たちの声は、直接心の中へ入り込み、歌声のように心地よい。
「<幸あらん、清らなる流れのひと>」
 ラルムは楽しそうに微笑んでいる。
 その瞳に陰りが見えないのは、彼女と自分の抱える問題が解決したというわけではなく、ただ一時的に目を背けているためだと分かってはいたが、別に構わなかった。
 彼女が望むなら、クルールは一生、兄に対して口を噤むことすら厭わないだろう。ラルムが人間の時に準じて生きるつもりなら、生きていることがわかったところで、兄には辛いことだからだ。
「ラルム」
「なあに」
「次のギルドの依頼、見た?」
 見たわ、とラルムは頷いた。
 前回の演習とは違う、命の危険すらありうる依頼に対する思いは、その面には表れない。
「参加するつもりかい」
「ええ。だって、お仕事だもの」
 あっさりと答えた彼女に、危険がわかっているのかと言い諭しても無駄なことだ。理解がないわけではない。
「わざわざ、仕事を引き受けなくても、無理に連れ戻したりしないよ」
「……」
 すぅ、とエルフの血が濃いその面差しから、笑みが消える。そうしていると、彼女は父親によく似ているのだった。
 硬質な、水晶のように澄んだ容貌。
 きゅ、とその眉根が寄せられた。
「わたし……違うわ、……おじさま、どう、言えばいいのかわからないけれど」
「そう」
 言葉を見つけられない相手を安心させるように、小さく頷いて見せる。
 本当は、彼女の言いたい事は聞かなくてもわかっている。ただ確認のために、わざと問いかけただけだ。曖昧にしておいて、良いことと悪いことがある。
「……わたし、ここを離れたくない」
「うん」
「お父さまのそばに、わたし、いられない」
 少しだけ、苦しそうに、ラルムは言った。
 この十数年間、どれほど兄が娘のことを心配し悩み、悲しんだか。言葉を尽くして伝えることも出来る。
 けれど、クルールはそうしなかった。
 言いくるめるようにして連れ帰っても、何も事態は好転しない。
「アークは、ラルムのことを愛しているよ」
 だから、端的に事実だけを伝える。ラルムが、自分の考えを整理する手助けをするために。そうして、自分で選択できるように。
「……お母さまがいなくなってから」
 ラルムは視線を下げて、呟くように小さく言う。
「わたしがいると、お父さまはかなしいの」
 そう、とクルールは小さく相槌を打った。
 瞼を伏せれば、当時のことが、まざまざと思い返される。
 美しき人間の乙女、フローリア。やせ衰え、骨の浮いた手首。艶を失った栗色の髪。日々、病に蝕まれ死に近くなる彼女の、優しい色をした瞳ばかりが澄んだ光を増していき、それが逆に辛かった。
 命短い人間とはいえ、その死はあまりにも早すぎた。
 母の死後、父の愛情が遠のいたと、ラルムが勘違いしたのも無理はない。
 それほどまでに、死に慣れていないアルカンスィエルの打ちのめされようは、酷かったのだから。母を喪った娘にまで思いが及ばなかったことを、責める気にはなれない。
 兄の分まで、自分が気をつければよかったのだ、とクルールは思う。
 クルールがラルムの異変に気がついたときには、もう遅かった。引き止めた手は振り払われ、深い悲しみと怒りに染まった水の刃が、この身を裂いた。
 その傷は、今も残っている。
「おじさま」
「うん」
 こちらを見つめてくる淡い青色の瞳が揺れる。人間でいえばとうに大人ではあるけれど、エルフでいえば彼女はまだほんの子供だった。
 顔にかかった金の髪を脇へ梳いてやる。
「……わたし、こわいの。お父さまに会いたくない」
「どうして」
「お父さまのかなしい顔を、見たくない」
「……」
 彼はラルムがいなくなって誰よりも深く悲しんでいるよ、という言葉を、クルールは飲み込む。父のもとを去った彼女を断罪するようなことを、言いたくなかった。
「ずっと、ここにいたい……アルのにいさまと、ペシュといたい」
 呟き、俯いた彼女は、けれどその望みの叶うことを、自分に許すつもりはないようにクルールには感じられた。
 危険を冒してまで、ギルドの依頼を受けるのも、この世界に残るためではなく、むしろ―――。
「うん……」
 ラルムは、もう自分の能力を人に役立てることを知っている。それは、この人の世界への愛情表現に他ならないのだろう。
「そうしても良いんだよ、ラルムが望むなら」
 ハーフエルフのラルムが、人と共に生きることの意味を、わかっているというのなら。
 すべては、彼女の覚悟次第だ。
「……風が出てきたね、中へ入ろう」
 お土産を買ってきたよ、とタルトの箱を示して、玄関へと促した。
 

精霊の娘2

 ラルムは捨て子かと思われていましたが、実際は家出娘です。
1としてあるのは、本来書きたかったところまで辿りつかなかったからと、同タイトルでラルムの野生児生活時の話なども書こうかなと思っているからです。ので、続き物のように見えて、それぞれ独立した話になるかもしれません。連作短編?って言うのかなぁ。

 ちょっと文章がぎこちないです; でも直せない……私の中で、映像的なイメージが強いせいかもしれません。漫画が描けたらなぁとこういう時思います。