昏の地



  月色の睫に縁取られた孔雀石の瞳から、透明な雫がぽろぽろと溢れるさまは、思わず見入ってしまうほどに美しかったが、同時に息の詰まるほど悲しかった。
 常春の乙女と呼ばれる彼女の涙に、一族が住まいとしている森の木々までもが動揺しているように感じられた。精霊たちも落ち着かない様子で気配を震わせる。
「ティフォン、ティフォン」
「翔け巡る風の娘」
「何がそんなに悲しいの」
 一人、また一人と族人たちが集まって、口々にその名を呼ぶ。幸いを祈り招く呼び声は、しかし言葉を返されず、空しく散った。
「母上」
「どうしたの、ティフォン」
 泣き伏す彼女の傍らに、二人の息子たちが膝をつき、母の肩を抱き髪を梳いた。
「……が、」
 嗚咽が、悲しく大気を揺らす。
「ニュアージュが、いってしまったの。もう、帰ってこないわ……」
 ニュアージュ。空翔る者の名を持つその人は、彼女の父親だった。二人の息子たちは、その人に会ったことはない。
 長命のエルフは、永い時を若く美しい姿のまま生きる。
 けれど、その命にもやはり限りがあり、決して永遠ではない。いずれ老いが訪れるときが来る。とても緩やかな老いが。
 自らの若々しさを誇り、美しさを尊ぶエルフには、その老いが齎す醜さを享受することが出来ない。いずれ来たる死の匂いをさせるその姿を、人目に晒すことに耐えられない。
 だから、彼らは老いがその肌を侵し始めたとき、それまで共に暮らしていた森を出る。少しの食料と、煌びやかな死に装束を身に着けて、そうして、黄昏の地と呼ばれる集落へ向かう。そこでは、衰えたものと、病や怪我を得て死期を悟った者たちが、ひっそりと暮らしている。
 残されたものたちは、遠く離れた彼らの無聊を慰めるため、また自分たちの心を慰撫するために笛を奏で、歌を送る。
 それが、彼らの死の形だった。
 黄昏の地は、死者の地に等しい。
 実際の死の訪れを、問うものも教えるものもいない。そのはずだった。
「誰が、そんなことを」
「誰にも。……聞かなくても分かるわ、親子だもの。わたしはあの人の娘だから。遠く離れていても、……繋がっていた糸が、切れてしまったのよ」
 涙は止まない。
 黄昏の地へと送り出した時点で、彼を死者と認めた族人たちはおろか、面識の無い息子に、彼女の感情を理解できるはずもない。
 彼女の悲しみは、彼女だけのものだった。
 彼女は二人の息子の腕の中で静かに泣き続け、やがて族人たちの奏でる歌が森に響き始めた。笑顔を失った乙女を慰めるため、そして、永遠に旅立った同胞を弔うため。
 いつまでもいつまでも、その歌声は止むことはなかった。


fin.
 

 

 

 ラルムが生まれるよりも前の話、かな。メインキャラにはだいぶ関係ないエルフ小話。
 いろいろな設定は、もちろん、当サイト限定です;
 長生きだからこそ、かえって自分や身内の死に慣れてなくて、目を背けちゃうんじゃないかな、と。年齢を重ねてきたことによる老いの美しさって言うのもあると思うんですが、それよりも先にある死の方に目が行ってしまって、受け入れられない。
 エルフ至上主義とか、他の種族を見下すイメージがあるのは(わたしだけ?)、人間やシェイプチェンジャーがあまりにも早く死んでしまって、親しくなればなるほど痛い思いをするからだと思ってます。ハーフエルフに対しても、妖精界にいれば別だけど、そうでなければ自分たちと同じエルフの血を引いてるくせに早く死んでしまうのが耐えられないんだと。もしかしたら同じ時を生きられないかもしれないから、混血を嫌がる。
 なので、うちの一族は比較的長命であるドワーフとは割りと友好的です。外見がだいぶ異なるのでそれほどオープンに親しいわけではないけど、宝飾品とか細工物を作るのが得意なドワーフと、うちのきれいな物好きのエルフたちが仲良くないわけが無い……。取引があると思います。
 我が家のエルフは基本的に働かないので(妖精界は働かなくても生きていけそうなイメージが……)、彼女たちの身に着ける衣装や装飾品は、ドワーフ作です。代わりに、酒の元になる葡萄とか果物を提供してるんじゃないかな。