再会
 


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 霞の向こうにある記憶の森と、今、我が身をおく森の姿とを重ね合わせるように、ラルム・オーはゆっくりと視線をめぐらせた。
 ひんやりとした青葉闇の重なり、空をわたる野鳥のさえずり、大気に満ちる水と土の気配。
 ファラトリア東部、アルバータに連綿と広がる深い森 ――― その地こそ、ラルム・オーが幼少期、エルフとしての時を過ごした場所だった。
「ラルムが生まれた場所は、この先を行って川にぶつかったところを東へ行ったところにある。今は、たぶん、誰もいないけれど」
 クルールは木々の奥を示して言った。左の上腕部と脇の服地が裂け、血に汚れたいでたちである。背には矢筒、手には弓を持っている。
 二人は、ファラトリア王立ギルドの一員としてこの地を訪れたのであり、討伐対象であった生ける図書館との戦いが済み、被害状況と安全確認の見回りをしているところだった。
 精霊に守られ、特別の怪我もないラルム・オーは振り返り、叔父の怪我を労わる目線を向けた。それに、クルールは普段どおりの笑みで応える。
「……だれも?」
「うん。ラルムがいなくなって、しばらくは此方にいたけれど、数年経ってからあちらに帰ったから。……付き合いのあるドワーフたちが、時折来て、そのままにしておいてくれるんだ」
「……」
 しばらくの間、ラルム・オーは示された方角へ何か捜し求めるような色の目を向けていたが、やがて顔をそらした。
「行こうか。モンスターにあっても面倒だ」
「ええ」
 それから二人は他のギルド員と同調して任務をこなし、顔馴染みのメンバーたちと無事を祝いながら帰還した。


*           *           *
 

 数日後、クルールは姪を訪ねるかたちでクローデル家を訪れたものの、中へは入らずに前庭の木陰に腰を落ち着けた。
 ラルム・オーは焼き菓子に挑戦しているところだという。
 それを手伝うペシュは腕まくりをし、どことなくいつもより鬼気迫る風であった。
 家主は工房で仕事中である。
 二人の娘たちの邪魔をする気はなかったので、クルールは土産の茶葉 ―― 新しい仕事着を注文しに行った仕立て屋で出された紅茶がいいものだったので銘柄を教えてもらい、購入したものだ ―― だけを預けて外に出た。
 折りよくこの日は小春日和で、水精季にしては日差しが温かく、風も柔らかだった。
 もたれかかった木の幹は、あたたかな波動を伝えてくる。
 居心地の良さは、このあたりの精霊が住人たちに友好的である証だ。相性のよいラルム・オーの存在もあるが、他の者たちもうまく共存が出来ているのだろう。
 花の少ない花壇は、しかし手入れが行き届いており、風精季ともなれば色とりどりに目を楽しませてくれるように思われた。
 クルールは軽く目を伏せ、周囲に溶け込むように落ち着いた。
 街の外れであるから、昼日中も静かなものだ。
 ふと、水の匂いを感じて視線を上げると、ちょうど、空中へ青く透ける身体が現れるところだった。
「……フルーヴ」
 クルールは姪の契約する精霊の名を呼んだ。
 彼らの一族では、名は生命への祝福であり、呼ばわることはすなわち寿ぐことである。それは、挨拶代わりでもあった。
 まだ音声を伴って言葉を発するほど存在の確立していない水の精霊は、どちらかといえば男性的な顔に笑みを浮かべることなく、ちらりと視線でものを言った。
 もちろん、生粋のエルフであるクルールは、生まれてこの方精霊と意思疎通を図ることに困ったことはなく、エルフ語をもとに体系化された精霊語もある程度解すことが出来るから、精霊がなぜ自分のもとを訪れたのか、すぐに分かった。
 先の依頼で負った怪我について問うているのである。
 精霊自身の意思というよりは、契約主であるラルム・オーのそれに影響されてのことだろう。
 クルールが問題ない、と応えを返すと、それ以上聞くわけでもなくクルールの傍らに立って遠くを見た。
「……わかるかい」
 クルールが誰を待って・・・・・ 此処にいるのか、彼にはわかるのだろう。
 人でないそのひとの横顔を見ながら、クルールはかすかに笑みを浮かべた。
 その面差しは、まさにクルールが今待っている人のそれにすこし似ている。
 頬に浮かぶ雫の文様は、ラルム・オーが<喜びの涙>を自分のものとして認めた証拠である。
 ――― さぁ、と梢を揺らして風が翔けた。
 それに促されるように、水の精霊は姿を消す。
「……」
 クルールは立ち上がり、目を細めた。
 長い金色の髪が、水精季の白い光をまとって淡く光っている。
 こちらで調えたのか、待ち人は人間界風の衣装に身を包んでいたが、長い耳に限らず、そのすらりとして手足の長い姿といい、均整の取れた顔立ちといい、およそエルフらしくないところなど欠片もない男だった。
 こちらに気がついて、もともと愛想のない顔をさらに顰めるのが見える。
 反比例するように、クルールの唇に笑みが浮かんだ。
「やぁ、アーク」
 手を伸ばせば届く距離まで近づくのを待って、クルールは待ち人 ――― アルカンスィエルに言った。
 うつくしい薄青の目に、ちりりと怒りが走った。
 

*          *          *


 その人が入ってきたとき、ラルム・オーはちょうど試行錯誤の末に出来た焼き菓子の生地をオーブンへ入れて、エプロンを外したところだった。
 はじめ、外にいる叔父が入ってきたのかと思った。
 けれど、視界に入ったのは予想に反して懐かしい金色の髪と、慕わしい青い瞳だった。
「……っ」
 名を呼ばれるよりも先に抱きしめられた。
 ペシュの驚いた声が聞こえたが、ラルム・オーにそれを気にする余裕はなかった。
 ずっと胸に抱いていた戸惑いと懼れは、背に回された腕の強さに吹き飛んだ。
 あたたかなものが、うちを満たしていく。
「…………おとうさま」
 やがて抱擁が緩み、向き合ったそのひとの顔を、ラルム・オーは奇跡のように見返した。
 

*          *          *


「大丈夫かい、クルール」
「うん」
 差し伸べられた白い指先に、クルールは素直に自分の手を重ね、立ち上がった。
 未だ完治には程遠い脇腹が痛んだが、僅かに顔を顰めただけで堪える。
 傍らを、すい、と緑の影が通り過ぎた。
「ずいぶん、おとなしく殴られたものだねぇ」
 のんきな口調で言ったのは、兄のすぐあとからやってきた同族の男だ。
 風の精霊を従えた彼は、名をミストラルといい、クルールの一族でただひとりの呪術師 ――― ギルドや学会がいうところのシャーマンである。
 一族の習慣に従って長く伸ばされた髪はほんの僅かな不純物も混じらぬ純白で、その目は蔦刺繍の施された覆いに隠されて見えない。
 盲目なのだ。
 使い物にならなくなった眼球の代わりに、精霊の助けによってものを視ているのだという。
 クルールは僅かに熱を持った頬に指先で触れた。
 手をあげるのに慣れていない者のしたことだから、痛みは大して酷くない。
「アークはラルムを愛しているもの。彼女を見つけてすぐに連絡しなかった僕に、怒る権利がある」
「あれは、きっとあとで後悔すると思うがねぇ」
 呆れたような、面白がるような微苦笑を浮かべて言う同胞に、クルールは兄が入っていった家屋へ視線をやった。
「アークは優しいから」
「ほんとうにね。お前みたいな厄介な弟を持って同情するよ」
「僕はミストのことだって兄と思っているけれど」
 クルールよりも数百年は先だって生まれたミストラルは、
「そうすると、私はきっと厄介な兄だから、丁度いいだろうね」
 おどけたような口調で言って、笑った。
 それまで落ち着きなくあたりをそよがせていた風の精霊が、ようやくこの地に馴染んだと見えて、主の傍らへ降りる。
「<幸あらん、天渡る自由のひと>」
「……アルバータの集落を訪れたろう」
 精霊へ挨拶の言葉を紡いだクルールに、ミストラルは言った。
 彼の使役する精霊の一部は一族が離れているときにも、定期的にアルバータの集落を伺う。
 風の化身である彼らには、時空も距離も関係がない。瞬きの間に彼方と此方を行き来し、見聞きしたものをミストラルへ届ける。
「アークに伝えたものか、迷ったのだけれどねぇ……近頃は、あれも落ち着いてきていたことだし」
「知らないままでいるわけには行かないでしょう。あの子に残された時間は少ない」
「再会が、傷にならぬと決まったわけではないがね」
 ミストラルはそこで言葉をきり、今頃、我が子と再会を果たしているであろう同胞を思って戸口へ視線を注いだ。
「……心の傷は、我らを殺す」
 その呟きには答えを返さず、クルールは土のついた服の裾を払った。
「僕は頭を冷やしてくるよ。……ラルムとアークの仲介をしてくれると嬉しいんだけれど」
「此処の家人は悪い人間ではないようだね。残念だ。悪人なら、ラルムを攫ってそれで済む話だったのに」
 肩をすくめた相手に笑って、クルールは背を向けた。
 中へ入って、兄と姪の姿を見る気にはなれなかった。
 

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五期前に、父子再会話ー……。
エルフって、精神攻撃に弱い気がします。絶望すると死ぬ。(どんな生き物)DEー!
……これ、クルールの過去話も書かないと完全には完結しない気がしてきた。しまった。
ミストラルは、妖精界生まれで長いこと人間界でシャーマンとして暮らしてたけど、あるとき一族に戻ったエルフです。
うちのエルフ(妖精界育ち)は大概、精霊と相性抜群で意思疎通はかれるんですが、特にミストラルを「唯一のシャーマン」としているのは、他のエルフと違って、精霊と形式に則った契約関係にあるからです。
2007.12.18