ホットップルパイ


 

「温かいアップルパイがとても美味しかったの!」
 昨日、オーがいつにも増して無邪気で喜びに満ちた、輝かしい顔でそんなことを言った。
 あたしは、別に見慣れたオーのエルフっぽい顔立ちに見とれるようなこともないし(そりゃぁきれいだとは思うけど、ぼんやりしてて危なっかしいオーの傍にいたらそんなことをゆっくり感じている暇もない)、街のおばさんやおじさんや、時にはまったく信じられないことに(だって何年一緒に暮らしてるのよ!オーの顔形もその中身のとんちきっぷりも誰よりも思い知ってるはずなのに)父さんがそうなるように、ほだされるようなこともない。
 だから、にこにこしたオーを目の前に思ったことはただひとつだった。
「…もうアップルパイ作らないでよ」
 どれほど口を酸っぱくしたり辛くしたりして指導したところで、少しも上達の兆しを見せないのだから、オーの料理の腕はある意味天才的だ。誰にも真似できない。
 自分でも作って試して見ようなどということは万が一にも考えるなと念を押すと、オーはしょんぼりしたものの(ここで震える小動物を目の前にしたような罪悪感にとらわれたりしてはいけない)、今度、最近仲良くなった人と美味しいお菓子のお店を探すのだといって、目前の楽しみのほうに気を取られているらしく、さほど気落ちしたようでもなかった。
 いっそ芸術的なまでに常識の範疇を飛び越えたものを作るための材料にお金をかけるよりは、間違いなく美味しいと保証のついているものを外で食べるのにお金を使ったほうがよほど経済的だろう(被害にあうのは周囲の人間なのだし)。
 あたしは安心して、ほっと息をついた。
 オーはといえば、またいつものようにふらふらと出かけていった。散歩癖というか、放浪癖というか、なんというかオーは基本的に屋内に篭ったりしない。毎度のことだし、台所にこもられるよりはよっぽど良いから、父さんもあたしも心配なんかしたことはない。妙に悪運強いし、あの子(あれでもあたしよりも結構年上のはずなんだけど、多分)。
 父さんは工房にこもってるし、家事もあらかた済ませて暇になったあたしは、ふとアップルパイが食べたくなった。最近、オーがやたらと話題にするからだろう。ちょっと探すと、オーがこれまた最近知り合った男からもらってきたレシピが見つかった。
 温かいアップルパイか……今から作れば、父さんが仕事を一区切りさせるころには丁度できているかもしれない。
 あたしは林檎や小麦粉が足りるかどうかを頭の中で計算した。




それはちょっとした驚きだった。
「美味しいー…」
 父さんは納期の迫っている仕事をひとつ忘れていたとかで、工房でかかりっきりになっている。
 いつものようにパイを冷ましておいても良かったけれど、焼きたてのバターの匂いにそそられて、それに、小腹が少しすいていたこともあって、自分の分だけ切り分けて、紅茶を淹れた。
 一口食べてその甘さに驚いた。
 甘いといっても、歯の溶けるような砂糖の甘さではなくて、林檎の自然のそれだ。仄かに酸っぱいのがまた甘味を引き立てる。パイ生地もさくっと良い音を立てた。シナモンの匂いを含んだ蒸気が口の中に暖かく広がる。
 前に作ったのよりもずっと美味しい気がした。
 思わず、レシピをしげしげと見返す。以前から知っていたものよりも、工程が簡単になっているし、材料の割合も微妙に違う。
 あたしは、このレシピを書いたという男のことを、はっきりいってろくでなしだと思っていた(オーが警戒心ゼロなのを良いことにカジノだのイカガワシイ店だのにつれていったのだから、その認識も決して間違いではないのだ)けれど、思わず見直した。
「なんか悔しいわね…」
 呟いて啜った紅茶も、香りが良い。
 確かこれはロンさんに貰ったやつだったかな…。
 今度他にもレシピもらえないかな、と思いながら、また一口出来たてアップルパイを頬張った。

fin.

 

 ペシュ一人称。ペシュとアルジャンはラルムのことを「オー」と呼びます。「ラルム」と呼び慣れるようになったのは案外ギルド入った後かも?
 カフェでジーン@ちげさんの食べていらした温かいアップルパイのご相伴に預かったのでv